2019.4.09更新
黒酢のこだわりと情熱 200年の歴史を誇る福山の黒酢づくり
桜島を背景に無数の壺畑が広がる鹿児島県の福山町で行われている、黒酢造り。
1800年代の江戸時代後期より始まった黒酢造りは、蔵でもなく工場でもない壺の中で製造するという世界にも類を見ない独特の製法で造られています。
福山町の黒酢は温暖な土地柄とおいしい地下水に恵まれた壺造り製法を約200年守り続けています。
独特の製法守り続けた黒酢
江戸時代後期より酢造りを行ってきたましたが、実は黒酢という名前がつけられたのは昭和50(1975)年。壺作りで作った酢が今までの酢に比べてに濃い琥珀色であったため、壺造りの米酢のことを「黒酢」と名づけました。黒酢造りに適した福山の地にて、始めは壺づくり製法による米酢造りを行っていました。ところが太平洋戦争が始まると、原料であるお米が途絶えていきました。そして戦後には、手間のかかる醸造酢ではなく、安い合成酢がどんどん広まり、戦前にあった35軒の醸造所のほとんどが廃業してしまいました。そんな中、サツマイモに代用してこの伝統的な製法を守り続け、壺で造る酢造りの技術を今に残しました。
こだわり抜いた壺造り製法
黒酢造りには製法の異なるタンクで造る黒酢が多く存在します。
しかし、壺でつくる“黒酢”は「温暖な気候」・原料である「地下水」・「壺」という条件が重なってできる福山町ならではの独特な製法なのです。一般的な酢造りでは、屋内でタンクを使うことによって温度をコントロールできます。そのため、発酵に適した温度や微生物を適切な時期に加えて発酵させることができます。しかし、福山町の黒酢は、温度を一切コントロールすることなく、太陽のエネルギーだけで発酵させるため、微生物も壺や麹蔵に住みつくことによって自然に働いてくれるという違いがあります。蒸し米と米麴と地下水のみを仕込み、太陽エネルギーの力を借りて、1年半発酵熟成させることによってまろやかでコクのある黒酢が生まれるのです。
・我が子のように造られる黒酢
黒酢の醸造技師たちは、黒酢造りを子育てのようだと表現しています。
壺の中の黒酢もひとつひとつが異なり、同じようには育たないと言います。それぞれの壺と向き合って、個性を見抜き大切に育てる必要があるということだそうです。そのため、醸造技師たちは毎日壺のフタを開け五感すべてを使い確認をするといいます。発酵の音に耳を傾け、黒酢になると味や香り、色で出来具合を確かめ、発酵から熟成するまでの間は「我が子を見守る」ように、壺に愛情を注ぎ、黒酢を造りあげているのです。そんな、醸造技師たちは、酢壺を敷き詰めた敷地のことを「壺畑」、壺の管理のことを「子育て」、発酵・熟成中の壺の蓋を開けたときに見える黒酢の液面を「顔色」、出来上がった黒酢を出すことを「収穫」と表現しています。発酵食品である黒酢はまさに生き物。職人の方たちの黒酢への愛情が伝わってきます。